占い師 羅王 愛用 タロット 妖精カード

ワクワク

このページでは私、羅王が究極の開運法である「ワクワクする気持ち」について、以下の順で説明します。

 ワクワクとは? 

◆◇ 究極の開運だ! ◇◆
◆◇ 深い感覚だ! ◇◆
◆◇ あなたは誰か? ◇◆
◆◇ 具体的には? ◇◆

 自分と自分の人生を信頼する

◆◇ 内なる導き手 ◇◆
◆◇ コンタクトと癒し ◇◆
◆◇ 今を選べ! ◇◆
◆◇ 依存するな! ◇◆

 今ここで人生を選択しよう!

◆◇ 魂とは心のことだ! ◇◆
◆◇ 今ここにいる宣言 ◇◆
◆◇ 選択は絶対だ! ◇◆
◆◇ 態度で示せ!◇◆
◆◇ 否定は要らない! ◇◆

 人生の贈物を受取れ!

◆◇ 贈物の中身◇◆
◆◇ 他人の人生を生きることはできない◇◆
◆◇ 今が約束の時だ!◇◆
◆◇ 今・ここ◇◆
◆◇ 幸せの鍵を受取れ!◇◆



 究極の開運だ!

結論から言おう!コトバではない。論理でもない。行動というのでもない。ある感覚なのだ。喜びの波動だ。ポジティブな自分を知っている時。楽しい事を心待ちにしているとき。自分の人生に何が起こっても大丈夫だと、自分と自分の人生を信頼しているときだ。それをワクワクと名付けよう!ワクワクすると夢が叶う。ワクワクすると人生が自己実現する。これが究極の開運だ!ワクワクという感覚が、あなたの実体だ!
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 深い感覚だ!

自分の中の確信を探して、実感しよう!その実感をワクワクという。キーワードは「喜び」だ。JOYだ。つまり、何かができる自分。達成することができる自分を見つけること。自分の中にもちゃんとそういう自分が居ると知ること。それから、その自分を実感するのだ。それがワクワクだ!
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 あなたは誰か?

あなたとは誰か?
人類史上いつも繰り返されるテーマがある。人間とはどういう存在か。その実体は何か?魂だという人がいて、光だという人がいて、いやいや、この肉体と共に栄え滅びる物質的な存在でしかないと主張する人もなぜかまだいる。それらを統合した主張に「波動だ」というのもある。 まあ、形態やその名称を知ることで、自分が誰なのかが分かると思うならその論議を続けるがいい。
私はそうは思わない。
@ 我々は地上的な存在ではない!
目に見える形やコトバではないことは確かだと思うからだ。そんなことよりも、自分の実体とのコミュニケーションを取ることの方が大事だと思っている。もちろん、物質的な存在に過ぎないとは全然思うことができないし、それを証明しろと言われると、自分でやれ!と言い返したくなる。私にはそんな必要はないのだから。
さて、あなたは地上的な存在ではない。その本質は形を持たない実体だ。それを何と呼んでも構わない。その実体があなたに伝えるときのメッセージ形態は「思い」や「感情」だ。それは深い感情の動きで分かる。喜ぶときにはっきりと分かる。それがワクワクだ。
あなたの周りは映像やコトバやイメージという地上的な情報で満ちている。だからちょっと静かになって、何か嬉しくなることを考えたりコトバにしたりして、それをきっかけにしてワクワクした気持ちを感じよう!それが「あなたの実体」なのだ。
@ 「逆方向だ!サイン」も受取れ!
悲しい事や嫌なことを考えて、いや〜な気分になるとき、その感覚はワクワクではない! それはワクワクとは反対方向に歩いて行くあなたに対して「逆方向だよ!」と告げるサインだ。だから、あなたはただワクワクを感じようとすればいい。それがあなたを導いてくれるのだ。
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 具体的には?

イメージは要らない!実はそれはブロックにしかならない!潜在意識にイメージを刷り込んでも、願いは成就しない!むしろ意識全体に満ちている「本当の自分」が願っていることを知ることが大事だ。それはアファメーションすることで分かる。
事はそう簡単ではない。もっと複雑なんだ!というならタロットで見つけることもできるのでご相談あれ!ともあれ、まずは自分宣言をしてみることをオススメする。
@ 「自分宣言をしよう!」
これをアファメーションという。まず、横になって3回深呼吸して静かになったら、アファメーションという宣言をしてみよう。そして、沈黙の自己からの返事を感じるのだ。
目を閉じる必要はない。誰かが話しかけてこない状況がいい。自分に興味のあるテレビ番組の声などが聞こえてこない方がいい。湧いてきたイメージに引っ張られてはいけない。イメージに引かれていることが分かったら、ああ、私はこのことを気にかけているのか、と理解して、それは後で考えることにしよう!とそのイメージから離れよう!頭の中がスッキリしていることが大事だ。
@ 具体例を挙げよう
たとえば、自分が教員資格の試験を受けるとき、または採用通知を待つ身であるときにする自分宣言は「私は教師だ」である。
今までの在り方ではなく、もっとモノやお金が巡る生活をしようと思うなら、自分宣言は「私は豊かだ」である。
決して「〜したい」とか、「〜になりますように!」ではない!!!
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 内なる導き手

ワクワクとは内なる導き手とのコミュニケーションだ!だれの心の内側にも導き手がいる。実体と言ってもいい。これを「本当の自己」とか「沈黙の自己」と呼ぶ人もいる。内なる導き手はコトバを持たない。イメージでの通信もしない。ただ、いい感じか、そうでないか。またはどちらでもなく、なにも感じないか、というだけだ。その感覚こそが本当の自分の思いであり、自分が自己実現してゆく拠り所だ!この「なんとなくいい感じ」のことをワクワクと名付けているのだ。
ただし大事なことがある。ポジティブにとどまることがどうしても必要だ。常に心が肯定的であるときに、自然な表現で問いかけること。怒りや悲しみからでは内なる導き手とのコンタクトはできない。
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 コンタクトと癒し

コンタクトできないなら、癒しが必要だ。もしも内なる導き手とコンタクトできないなら、あなたには癒しが必要だということかもしれない。誰が悪いのか、何がいけなかったのか、何を切り捨てればいいのか、といった否定的な心的態度ではコンタクトできない、ということだ!もしそういった「癒しの必要な状態」であるなら、コンタクトではなく、導き手を通して癒しエネルギーを受け容れる!と宣言するといいだろう。
@ 感情の開放が癒しだ
癒しが起こると、こらえていた涙がダーダーと流れるだろう。怒りが叫びとして表現されるだろう。自分の誇大妄想的な部分や若くて無謀だった自分が抱いていた大きな野心が可笑しくなって、クスクス笑ってしまうだろう。感情の表現を抑えてはいけない。どんな感情も否定されずに表現されるべきであり、他の人に受け容れられるべきであり、人と共有されるべきものだ。感情という流れを抑制すると病気になる。健康でいるためにも感情を開放しよう。
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 今を選べ!

変わろうとするな!選ぶのだ!人は一瞬一瞬新しく自分の世界を創造している。ま、自分にその自覚がなくてもいい。時に人は目からウロコが落ちて自分の人生の認識を一瞬で変えることがある。それは、実は人生を選んでいるということの証明のひとつだ。何か選択肢の前で立ち止まるとき、多世界の中のひとつを選ぼうとしているわけだ。多世界についての知識はなくても何ら問題はない。よし、私はこれからこんな風な人生にするぞ!と思うだけで選んでいるのだ。
@  変わるのではない、選ぶのだ!
その際「自分が変わらなければならない」と考えると、変化が滞る。そうではない。なぜなら「変わる」という思考は過去の自分を非難して、よりよいと思うものになろうとすることだからだ。それでは、過去の自分を否定してる。否定したものを握りしめていると次に進めない。過去は捨てていいのだ。ただ、今を選ぶのだ。そして選んだ自分としてやるべきことをやればいい。それだけだ。
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 依存するな!

結果に依存するな!結果とは幻影だ。実はそんなものはない。影のようなものだ。過去の記憶にばかり囚われていては前に進めないのは周知だが、結果が未来の記憶だとすると、結果に依存していては、やはり今にとどまることができない。今でないものを追い求めると人生が見えなくなる。人生は今であり、過去や未来の記憶ではない。結果やゴールは記憶でしかないからだ。よく成功哲学でも言うではないか「成功とは結果ではない、そのプロセスである」と。人生とは死の瞬間だけがすべてではなく、生まれてから死ぬまでのすべてが人生であるように。目の前にある受験でも、入社試験や資格取得のための試験でも、それは通過点に過ぎない。過去や未来に傾くな!今ここに踏みとどまれ! 今ここ以外から人生は出発し得ないのだから。
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 魂とは心のことだ

つまり「心とは 魂のことだ」精神世界でよく言われることだが、魂とか心とかを分けて考える必要はない。そして、それは実は全部がつながっている。テレパシーなどが可能なのは、すべてはつながっていて途切れていないから瞬時に何かを感じることができるのだ。肉体という服を着て地上に暮らしている我々の常識は、 これまでは、魂の存在は科学的に証明されていない。だから、基本的に「魂はない」と考える方が 科学的あるいは進歩的だと信じてきた。
@ 超能力は自由のメッセージだ
実際に以心伝心はある。千里眼はある。正夢はあり、予知はある。さらにいろいろな霊的能力を示して、実は私たちはこの地上に閉じ込められているのではない、と示す人々もいる。だからといって霊的な能力を追い求めるのは逆方向だ。霊的能力を見かけたら、ああ私たちはみんな自由なのだ、と知るだけでいいのだ。やることは別にある。
@ 宇宙の中心は自分だ。そこから約束を知れ!
魂なり心なり、その広大な広がりの中に「自分」という中心がある。この中心に居ること。そしてそこからの景色がどんな風に見えるかを観察しよう。さらに、人生の目的地である「約束の地」を知ろう。
魂は宇宙的に広がってつながっているので、実は何でもできる。とはいえ、今回あなたは特別な環境と歴史を選んでいる。国。性別。家族。両親。興味。友人などなど。つまり、特別なあなただけの「約束」がある。
その約束は個人的だ。一般的な解釈にあまり用はない。だから聖職者のコトバにもあまり用はない。宇宙につながっている。そのつながりをエネルギーの通る水道管にたとえると、その先にあなたという蛇口がある。その蛇口から宇宙エネルギーが「あなた」を通ってこの世界を造る。あなたが体験する世界を創造しているのだ。
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 今ここにいる宣言

「今ここに居る!宣言。」もしも、自分のいる場所なのに、なぜか気後れしたり、他人の方に権威を与えてしまうなら「自分の居場所宣言」をしよう! 両足をバンッと床に着けて、「私は今ここに居る!」「ここは私の場所だ!」と宣言するのだ。これをグランディングという。足を組んで片足だけではいけない。両足を使って地球に接続するのだから。営業で新しい訪問先にあいさつに来て、ちょっと緊張していたり、付き合っている相手の家を初めて訪問するときなど、どんなときにも有効だ。
@ 人はあなたの国の客だ!
だからといって相手に対してデカイ態度で臨め、というのではない。それでは自分のテリトリーを守る態度だ。あなたがまだちゃんとそこにグランディングしていないから、相手を侵入者とみなして威嚇しているのだ。自分の場所の王様であるなら、自分の王国に訪れた客人に対して、寛容な態度でにこにことホスト役ができる筈だ。
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 選択は絶対だ!

「選択の絶対性」人生におけるあなたの選択は絶対だ!この人生の選択の絶対性を知っていよう! ただし、いつも自分が思い描いた通りというわけではない。具体的な出来事をなにかの結果として執着するなら、それはただのブロックでしかない。捨ててしまえばいい。あなたの思いが叶う。あなたという人物全体がもっとはっきりと現実化して現れるのだ。他の誰でもない、あなたがあなたの人生を選択するのだから。
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 態度で示せ!

言葉で自分の正当性を語るな!愛情は態度で示すものである。恋人に対しても、家族に対しても。言葉による表現はたいてい気持ちのズレを生むことが多い。人は言葉で感情を正確に表現することはできない。なにしろ自分でもどんな風に感じているのかが分かってないからだ。ただ、なんとなくは分かる。それでいい。感情とはそういうものだ。ただし、その人のことを大事に思っている気持ちだけははっきりしている場合に、言葉で相手との合意を得ようとして奮闘すると、ズレがさらに広がる。また、自分の価値観を押し付けようとするなら、相手は束縛を感じて逃げ出してしまうだろう。無口になれとか、黙り込めなどと言っているのではない。愛情は態度で示すものだ、と言っているのだ。
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否定は要らない!

「実は否定詞は要らない!」 人生で何かを否定する必要はぜんぜんない。だから、アファメーションのときも否定詞を含まない文章で出発しよう!否定はじつは 否定した対象から離れることができていない。たとえば「OOが嫌だ」と言ったとしよう。この場合、OOが嫌だといいながらそれを掴んでいる。手放していないのだ。だから、状況がどう変わっても、嫌だという対象はとどまり、あなたの周りをグルグル回っている。否定からは何も生まれない、とはこういう意味なのだ。
人と話をする場合、家族や恋人、友人とコミュニケーションを取る場合、自分の発言に注意してみよう。そして、ああ、あの人はすごくいい感じだと思う人の発言を注意して耳を傾けてみよう!発見があるはずだ。
@ 好き・嫌いはプラス・マイナス
絶対値を付けて考えよう アファメーションするときに大事なことは、否定や限定した部分は通じない、ということだ。「私はもう貧乏は嫌だ!」ではなく「私は豊かになる」「私は豊かさを受け取る」と宣言しよう。
数学で絶対値というのがある。数字についているプラスやマイナスを取り去って、その数字の大きさだけを表すものだ。「マイナス6」も「プラス6」も絶対値をつけると|± 6|。ただの6だ。
ではここで、プラスを肯定、マイナスを否定と考えて見よう。するとわかりやすい。
「不幸が好き」も「不幸が嫌い」も、絶対値にすると、「不幸」。 自分の宣言は、常にこの絶対値が付くものだと知っているといい。これは実は宣言だけではなくて、あらゆる自己表現にも言えることだ。これらを理解できると、「ポジティブとは、ポジティブにとどまることであって、ネガティブを否定することではない」という意味が分かってくるだろう。
@  平和を選ぶときは?
たとえば、平和とは、自分自身が平和な心でいることであって、戦争を反対して戦うことではない、ということと同じだ。私は戦争反対と叫ぶ人を否定しているのではない。ただ、平和とは何かを示しているのだ。
そして、今私が言った「平和とは」についての説明について、違いが分からない人、そんなのただの言葉遊びだ、詭弁だと感じる人は、ポジティブとは何かが分かっていない。
これを別のレベルで言い換えてみよう。他人のやることを否定しても、自分のやってきたことを否定しても、自分の人生は変わらない。自分の人生の景色である世界も変わらない。ただ、新しい自分を選び、それによって今まで頼ってきた信条や囚われを開放するとき、世界は一変するのだ。
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 贈物の中身

@ 出来事が人生なのではない!
失敗した人生というのは存在しない。出来事の総体が人生なのではないからだ。どんな人生の一瞬も選ぶだけで実現する。それも自分の望んだこと。約束したこと。合意したこと。受け容れたこと。人はそれらを人生の出来事として受け取る。だが、出来事の総体がその人の人生なのではない。たとえば結婚、離婚、恋愛、就職、離職、起業、倒産、同棲、失業、別居、死別、事故、介護、家族との同居、身体の障害などが人生の出来事だ。その出来事に対してどうあったか? 出来事をどう感じたか? それに対してどんな自分を選択したか?どういう人として対応したか? 実はその「選択した自分の連続」として人生がある。社会的な成功とか失敗ということで人生を秤に掛けてはいけない。人生の意味は、社会的な価値観を超えているからだ。
@ 存在の意義は地上的な価値を超えている
魂はこの世界に生まれてきて、そして去って行く。生まれてくるにはそれだけの目的があり、去るには去るべき理由がある。他人から見て、あるいは本人の顕在意識から見て中途半端に見えても、短命であっても、どう考えても不運であったり、悲痛な出来事を受け容れた人生であっても、その人生を祝福しない理由にはならない。その人生を生きた存在は、その不運な人生を生きることで自分とは誰かを示したのだ。同時に、その人生を知る機会のあったあらゆる人に対して、ひとつの道しるべを立てたのだ。あなたの周りにはたくさんの道しるべがある。ぐるりと見回せば生き方は人様々だと告げているのが分かるだろう。人生を「成功した人生」と「失敗した人生」に分けるのは、賢い分類ではない。
@ 贈物の中身の方を受取れ!
私は出来事を、人生の贈物と呼ぶ。そして、いつもその贈物の中身を受け取ることにしている。どんな出来事だったかと評価するとき、人はたいてい贈物の包装紙だけを見ている。しかし、人生が提出している贈物は包装紙ではない!もし受け取るべきことがあるとしたら、自分がその出来事に対してどうあるか?だけだ。 つまり、選択だ!
「意識的に」「今ここで」「どんな自分で在るかを選ぶ」ということだ。それこそが、人生があなたに手渡す贈物の中身だ。
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 他人の人生を生きることはできない

他人の人生を生きることはできない! 当たり前だ。人は自分の人生を生きるのであって、どんなに身近な人でも、代わりに生きてあげることはできない! 
@  身近な人に対してもスタンスを保て!
どんなに身近な人であっても、お腹が空いたから、代わりに食べてあげることはできない。代わりにトイレに行ってあげることはできない。代わりに死んであげることはできない。代わりにその恋人と結婚してあげることはできない。代わりに身体の障害を引き受けることはできない。だから、まず他人(家族や恋人を含む)の人生そのものに直接肩代わりできることは基本的にない、と理解することだ。人は自分の人生を生きるのであって、他人の人生を生きることはできないからだ。このスタンス、この距離感をまず持つことだ。その上でしてあげたいことがあれば、相手の要請や同意を得てしてあげればいい。
@ パターナリズムとは保護者の皮をかぶった支配者だ!
そうでないなら、あなたは人に対して支配的になるだろう。相手があなたの好意を受け取らないときは、自分の意見を尊重しないと激怒するだろう。この好意と支配、或いは庇護と支配がセットになった行動を「パターナリズム」と言う。そして、相手が自分の価値観を受け容れないなら、こちらも手伝わないと自分のカラに閉じこもるだろう。もしそうなら、あなたは完全にパターナリズムを発揮している。相手に良かれと思ってしていることが、実は相手を束縛しているのだ。そんな自分をよ〜く見つめることだ。
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 今が約束の時だ!

「問題が起こったのではない。約束を果たす時が来たのだ」
人生に困難はある。しかし、それは不幸だとか、悲運だとかいうのではなく、約束なのだ。この世界での出来事はすべてあなたと宇宙との約束に導かれている。何かを「これは乗り越えるべき問題だ」と感じたとき、それは本来全然自分の人生に予定していないもので、完全に排除すべきことが侵入してきたからだ、というのではない。
@  出来事は「問い」であって「答え」ではない!
ここで言いたいことは、その出来事を乗り越えて今の自分から新しい自分になるためだ、というのでもない。出来事はいつも自分で自分のことを忘れている我々に問いかけてくれるのだ「今あなたは誰か?」と。出来事は問いであって、答えではない。答えるのはあなただ。そして、その答えとは決心と行動を伴うあなたの選択だ。
@ 赤ワインとハンドクリーム
たとえば、あなたという人が透明人間だったとしよう。他人からも見えないし、もちろん自分の目でも「自分が誰か」「どんな存在なのか」を確認することができない。その上に服を着たとしても、露出部分である顔や手足は見えない。鏡で客観的に確認したいなら、物語によくあるように全身に色を着ける必要がある。まあペンキを頭からザバッとかぶる必要まではないが、赤ワイン一本くらいは必要かもしれない。手の形だけなら、クリームでも付ければ形が判るだろう。出来事は赤ワインでありハンドクリームみたいなものだ。
@ 自分は誰かと問うのではない。表現で応えるのだ!
だからといって、その問いにコトバで答えるだけでは自分のすべてを表現できない。選択と行為で答えるのだ。パーティーに誘われて、参加するなら「楽しいことが好きな自分」を表現できるだろう。事故にあってリハビリが必要なら、「強い意思をもった自分」を表現できるだろう。仕事が好きでバリバリやっているなら「この社会にうまく順応している自分」を表現できるだろう。片思いの相手に自分の気持ちを伝えるなら「傷つくことを怖れない勇気ある自分」を表現できるだろう。そうだ。そうやって少しずつ自分を明らかにするために出来事は問いかけてくれるのだ。外からは見えない。自分でも自分のことがはっきりと分からない。そんなあなたが本当は誰か?と。
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 今・ここ

「人生を今以外の地点から俯瞰しても始まらない」 学生のころもっとスポーツをしていれば・・・、タバコを吸わなければもっと身長が伸びていたのに、とか、両親がもっと豊かだったら・・・、大学に進学できたのに、さらに、もっと別の国に生まれていれば・・・など、かつての自分や他人に対して「〜だったら」「〜していれば」あるいは「〜していなければ」という選択肢は存在しない。
@ 今以外にどんな時があるというのか!
今この時点でだけ人生に選択肢があるのであって、過去に戻って選択し直すことはできないし、またその必要もない。今この時点での自分は完璧な自分だ。欠けている部分など全くない。それがどんなに不完全に見えても、完全な選択の結果だと受け容れることだ。過去の犠牲者であるとき、クヨクヨと「そうでなかったらよかったのに!」と思うとき、あなたは今ここにいない。目を閉じて過去に生きているのだ。過去の失敗を教訓にしてはいけないと言っているのではない。経験したことで学ばないなら愚者以下だろう。羅王は「過去あるいは未来の記憶という、今ではない地点から人生を選択することはできない」と主張しているのだ。
@ 今の完璧な自分から次の完璧な自分を選べ!
もしも変わりたいのであれば、決して「不完全な自分から完全な自分になろう」と考えてはいけない。それでは自分が過去に行った選択を否定しているし、現在の完璧さをも否定している。そんなときは、あなたはやはり「今ここに居ない。」過去や現在を否定して、今ここに居ないなら、どこへも出発できない。「今現在の完璧な自分から、次なる完璧な自分」に選び変えることがあるだけだ。
@ さあ、しっかりと今ここに存在する自分であれ!
現在、自分の欠点と思えるものを、過去の環境や自分の行ったことの犠牲だと捉えているなら、その歴史、その環境、その出来事とそれを選択した自分を祝福して手放すことだ。
これを世間ではよく「ありがとう」そして「さようなら」と表現する。
幼くて自覚できなかったり、無意識であったりしたかもしれないが、あなたの選択であったことに違いはない。そして、その選択肢はすでにここにはない。あなたがすることは今を選択することだ。そうだ。「いつも意識的でいる」あるいは「目覚めている」とは「今ここにいること」に他ならない。
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 幸せの鍵を受取れ!

幸せの鍵を受け取る勇気を持て!
それはあなたのものだ!
あなたに差し出されている。
では、どうアファメーションするのか?
「私は幸せの鍵を受取る!」
「私は人生の贈物を受取る!」
「私は人生が差し出すあらゆる好機を受取る!」
「私は・・・・」となるだろう(^王^)♪


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◇羅王のブログはここからどうぞ!これからいろいろ書くそうです。

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願いたちは叶う

願いたちは叶う ここでちょっと妖精カードを紹介しよう!妖精たちのメッセージはいつもやさしい、そしてとても実践的だ。彼らは地上の天使なのだ!このカードはカードデッキの表紙に使われている図柄である。メッセージは「あなたの夢たちは全部叶うということを知っていなさい!」である。嬉しくなるねぇ〜(^王^)

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財運開通♪ 

財運開通 このカードが出るとまず初めに「あら、おめでとうございます♪」ということにしている。メッセージは「あなたのお金に対するブロックはすべて取り除かれました。今からドンドンお金の流れが来ます!」だ。やることなすこと全部がお金の流れになるというのだから、笑いが止まらない。とはいえ、お金は電気や電波と同じで蓄えることはできない。「お金の流れ」だから、堰き止めずにドンドン流して行こう♪
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魂の祝祭

魂の祝祭 翼のある一角獣が喜んでいる。このカードが出たら、あなたが何かのテーマに取り組んで、そのステージを無事卒業したことを示している。すると、魂が喜ぶのだ。あなたに実感がなくても構わない。面倒な事ばっかりで、ついてなかったのに!と思っていても、実はステージをクリアしていると妖精は告げている。さあ、「一体何を?」などと拘らずに、とにかく家族や友人・恋人と祝うときなのだ♪

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ウェルカムボード 

ウェルカムボード 娘が結婚したときに羅王が描いた自作のウェルカムボードだ。背景はアメリカのモニュメントバレーでナバホ族インディアンの聖地だという。羅王お気に入りの場所だ♪
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